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旭川医科大学 医学部医学科 小笠原亜美
(監修: 北見工業大学 奥村 貴史)
2018年9月29日午後、東京文京区本郷にて、エムスリー社「AIラボ」とAI特化型インキュベーターであるディープコア社による、医療AIについて医師とエンジニアの交流を目的としたイベントが開催された。講演や懇親会での交流を通じて、医師側とエンジニア側の双方が抱える疑問や課題について意見交換をすること、そこから新たな課題を発見することが今回のイベントの目的である。
主催者による開会の挨拶の後、多田智裕さん(医師AIメディカルサービス代表取締役予定)が基調講演を行った後、髙橋秀徳さん(医師自治医科大学)をトップバッターに、医師、エンジニアを含む計10名による「ピッチ」と称するショートプレゼンテーションが行われた。
5時間に渡ったイベントにおいて医師側は、AIを医療の現場でどのように活用しているのか、また現場ではたらく医師がどのようなことをAIに期待しているのかといった話題を提供した。それに対してエンジニア側は、具体的にどのようにエンジニア側が現場や事業に介入できるのか、またビジネスとしての市場価値はどこにあるのかといった疑問を医師側に直接質問したり、意見を述べるなどした。
医療用AIに興味を持つ医学生として今回イベントに参加し、医師とITエンジニア双方から現状や今の状況に対する意見を聞いた結果、医療の現場に医療AIの導入やITエンジニアの参入を行うために解決した方がよい課題がみえてきた。イベント参加記として、以下に紹介したい。
開会式の後、最初に医師であり起業家でもある多田智裕さんによる基調講演が行われた。世界に挑戦する内視鏡AIというタイトルで、内視鏡画像から癌を識別するAIを作成した経緯や今後の展望について語った。「はじまりは現場の困りごとだった」と多田さんは述べた。さいたま市の市民検診で撮影された内視鏡画像のダブルチェックは終業後に行われる。検診を受けた市民の数は4~5万人、1人につき4、50枚の画像が存在するので医師一人あたり毎週2,800枚もの内視鏡画像をチェックしなければならない。技術の進歩によって大量に生産されるようになった医療画像は専門医の処理能力を超えていた。このような日常業務の困りごとから、トップ医療機関と共同研究により、50万枚の内視鏡画像から、AIを用いたダブルチェックができるソフトが製作された。現在はリアルタイムで内視鏡を使用している間に癌を診断できるシステムを開発中である。AI内視鏡画像診断での癌の見逃しゼロを目指すと述べながら、「治療方針や手技のサポートなどといった用途があり、AIは医師の道具である」と強調していた。
次に、眼科医師である髙橋秀徳さんがプレゼンテーションを行った。タイトルは「たたみ込みニューラルネットワークで解決する画像診断」で、機械学習を用いた糖尿病網膜症病期分類のための画像診断AIについて発表した。現在AIは一般画像識別において画像識別に特化した人の認識率を超えたという。加えて人工知能に慣れていなくても、ディープラーニングが登場したことにより、人工知能の学習方法が洗練されたことで広いユーザーが使えるようになったと髙橋さんは述べた。髙橋さんが作成したAIは、診断、病期分類、数値推測これら全てがたたみ込みニューラルネットワークで画像から自動的に行い、開発したAIの病期的中率81%であったという。一方人工知能の開発で苦労した点の1つとして学習パラメータやハイパーパラメータの調整を挙げていた。他には人工知能に学習させるためのデータを獲得するために様々な課題をクリアしなければならないと述べていた。精度の高い人工知能を作るためには大量の学習用データが必要とする。大学病院と周辺クリニックなどからデータをもらうためにデータの契約形態と協力形態の方法、個人情報のマスク方法を倫理委員会に通したり、大学病院の外の有識者委員会から許可を貰ったりと人工知能を開発する前の準備段階からの苦労がみえた。フロアからの質問で、今から作るには最小何例必要かという問いに対して、「特化型AIでは、1万枚は必要」と述べていた。
続いて現役医師10名による「ピッチ」が行われた。匿名、非公開を前提とした発表も多いことから氏名と内容については伏せるが、今の医療の課題を解決する手段としてAIをどのように利用しているか、AIに現場のどのような困りごとを解決してもらいたいと期待しているかなど、一人一人様々な視点で発表していた。
イベントの最後には懇親会が行われ、AIに造詣が深いITエンジニアと、AIを利用しているないし興味のある医療関係者との、交流の場となった。本イベントを開催した方々、講演を行った医師やイベントに興味を持って参加した大学生など様々な立場の方と話す機会があった。
懇親会中、ディープコア社の田中さんは「いま医療用AIに興味を持ち、今の医療現場の状況に危機感をもって行動している有識者を日本中から集めてこの規模は本当に異常なこと」との懸念を述べていた。エンジニアと医師の交流イベントを設けても都内のビルのワンフロアで済んでしまった点について、今の医療の現場に対して危機感をもって行動に移そうとしている医師やエンジニアが少ないとの認識に立っての発言だ。
また同じくディープコア社の雨宮さんらに話をうかがったところ、医療という現場が特殊すぎることから、医学生や医師にとって当たり前の情報や状況を非医療従事者側が承知していないことが判明した。これは、興味がないと言うより、医療の現場の情報にITエンジニアらがアクセスする手段がなく、そういった情報を知る機会や手段がそもそも与えられていない、分からないということが大きいようだ。交流イベントや求人もほとんどなく、医療というフィールドは、当事者以外にはかなり閉鎖的であるということが理解できた。
続いて講演者の一人である髙橋先生と話した。電子カルテや医師の問題意識の低さが、医療AIの導入の足かせになっているという。髙橋先生は、「電子カルテのデータが先生毎に好き勝手にかかれていて規格化されていない、データ同士が紐付けされていない、簡単にアクセスできない、集約されていないデータが多すぎる。だから患者のデータを利用するときに無駄な作業が多くなってしまったり、データを抽出するのに時間がかかったり、一度取り出したデータが使い切りになったりしてしまいとても不便だ」と述べる。また電子カルテは導入も更新も高額であり、電子カルテを維持するのに数千万円がとんでしまい、ユーザーである医師が使いやすく改良したいという要望にまで手が回らないことも分かった。一方で、髙橋先生の専門である眼科では、診察、検査、診断、手術といった一連の流れが1つの科でまかなえるため、AIやIT関連の導入が比較的しやすいとも述べていた。
今回の参加者の割合、講演やピッチにおける質疑応答、懇親会を通じて、医療の現場にはIT側が介入できる課題(日常の困りごと)がとてもたくさんあることが分かった。しかし、ビジネスの領域として、医療現場と医師はとても扱いづらい。医師側は「とにかく困っていて、患者さんを救いたい」という気持ちが強い。それ自体は悪いことではないが、必要な情報提供がうまくできない例も存在するのではないかという考えが浮かぶ。「どのくらいの症例があって、どのくらいの患者がいて、それをどのようにしたら問題が解決するのか、ビジネスたり得る利益はあるのか、そういった具体的な話や背景が分からなければエンジニア側も仕事を受けられない」、ピッチの質疑応答でのエンジニアのコメントである。
また、解決が求められる困りごとだけでなく、医療の現場には、大量にデータがある。それは、外来カルテ、入院カルテのみならず、各検査や画像、さらに健康診断のデータなどにおよび、AIの研究開発に利用できるデータの原石はたくさんあることが今回のイベントで再確認できた。しかし、そのデータの管理が画一化されていないため、いわゆる「汚いデータ」であるのが難点となる点も認識できた。こうした問題を解決していくためには、電子カルテのデータベース化、ユーザーインターフェースの簡便化と画一化が求められる。
こうした問題を解決していくためには、ITエンジニア側が、常に医療者側のオーダーを聞きながらシステムを改良し続けることができる、そして医師もエンジニアを信頼して定期的にプロジェクトの会議に参加したり要望を具体的に話したりといった基盤が必要だと感じた。医師側のAIへの興味・期待、ITエンジニア側の医療領域への興味は共に高い。しかし、AIやプログラミング言語の勉強会、医師の困りごとを定期的にフローするシステムなど人工知能を臨床現場に導入する前に、準備しなければ成らない課題がまだ数多くある。
AIに興味のある医療者でもAIを万能機だと思っている方が多く、難しいことや分からないことは人間にできないことはAIに全部任せれば解決するのではないか、という考えの方もいた。医療用AIの発展に向けた基盤を整備し、また、医療従事者とITエンジニアの相互理解を深めるうえで、双方のコミュニケーションを目的としたイベントには潜在的な需要が大きく、また、効果的な情報交換が実現すると実感できた。