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医師学術認証基盤構想

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日本の医療用人工知能は、米国、中国に大きく差をつけられつつあります。その背景には、いくつかの理由があり、とりわけ、研究開発と技術の実用化に要する様々なコストが高い点への対応は急務です。「医師学術認証基盤構想」は、この問題への有力な解決策の一つとして、我々が提案してきた施策です。この研究開発基盤により、医療用人工知能研究への対応を切り口に、「医師認証基盤の普及」、「医療用人工知能の発展」、「医師キャリアの効率的な追跡」という、日本の医療を支える多彩な波及効果が期待されます。

医師学術認証基盤構想

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医師学術認証基盤とは

医師学術認証基盤とは、医師を対象としたオンラインの認証サービスを提供する仕組みです。医師が普段利用するアカウントを利用し、中医療関連分野の様々なサービスを利用することを実現します。
政府は今まで、保険医療分野の公的な認証基盤(HPKI)の運用を支援してきました。しかし、この基盤は法的な効力を有する電子署名システムとして構築されており、医師にとっては紹介状の電子署名以外の使い道がないことから、利活用も進んでいませんでした。医師学術認証基盤は、普段から利用されているアカウントを活用することで、この厳密な認証を必要としない幅広いアプリケーションを低コストに実現し、医療の情報化にさまざまなメリットと波及効果をもたらすことが期待されます。

医師学術認証基盤が実現するメリット

医師学術認証基盤には、[パンフレット]が示すように、12項目にも及ぶメリットが期待されています。ここでは、医療用人工知能と保健医療福祉行政にとっての代表的なメリットを抜粋します。

〔メリット1ー医師向けサービスの統合認証化〕

医師は、⽇常的に各種学会や医療サービスをオンライン上で利⽤していますが、それぞれのサービスでIDを作成し、管理する必要がありました。医師学術認証を⽤いることで、所属⼤学やUMIN等、日常的に利用しているアカウントを用いて、連携する各種学会・医療情報サービスにアクセスできるようになります。これにより、医師は様々な医師向けオンラインシステムのために、いくつものアカウント情報を管理する手間から開放されます。
こうした認証システムは、コンシューマ向けのサービスでは既に実現されています。たとえば、FacebookやTwitter、Google等のアカウントを使って様々なウェブサービスを利⽤できることをご存知ではないでしょうか。このように、単一のアカウントにより様々なサービスを利用できるサービスを、「シングルサインオン」と称します。医師学術認証基盤により、医師向けな多彩なサービスのシングルサインオン化が実現します。

医師向けサービスの統合認証化

〔メリット2ー医療用AIの研究開発促進〕

医療用人工知能の研究開発には、人工知能に正解を伝えたり、開発した人工知能の精度管理を行なうために、多くのデータが必要となります。こうしたデータの生成に関しては、医師でなければ品質を確保することが困難であることが少なくありません。しかし、膨大な数のデータを生成する単純作業に従事して下さる臨床医は決して多くはありません。また、その単純作業の意義を啓発するためにも、時間と手間を要します。
医師学術認証が実現することにより、たとえば、研究用データの生成タスクをインターネット上で公開し、医師のみを限定して受け入れるような体制が簡単に実現できるようになります。医師学術認証は、このように、研究協力をして下さる医師の参加促進を通じて、医療用人工知能研究のコストを大幅に低減します。これは、医師学術認証基盤を医療⽤⼈⼯知能の開発に必要なデータを作成する「クラウドソーシング」(別記事:「医療用人工知能研究に求められるデータ生成・監査タスクを海外委託する」参照)に活用する試みです。実際にクラウドサービス上で医師にデータ⽣成を依頼する試みも⾏われていますが、国内ではクラウドサービスを通じてタスクを請け負う医師は多くありません。医師学術認証基盤は、医師の資格確認を大幅に軽減すると共に、アカウント管理の負担をなくすことにより、医療⽤⼈⼯知能研究のコスト削減を通じて研究開発の促進に貢献します。

医療用AIの研究開発促進

〔メリット3ー医師キャリアの効果的な追跡〕

医学部においては、卒業生の進路や勤務先の把握によって大学教育や入学試験制度の改善に繋げることができます。そこで、同窓会組織等を通じた卒業生の組織化が行われていますが、自主的な報告に基づく動向把握は完全ではなく、また、医師側、同窓会組織側の双方への負担が大きいものでした。適切な同意のもとに在籍医学部がアカウント発行を行うことは、そのアカウント情報を通じた卒業生のキャリアの効率的な把握を実現します。
政府は、医師需給に関する政策の検討に向けた基礎資料として、医師の卒後動向の調査システムの確立を望んできました。しかし、こうしたシステムの確立のためには大きな予算を要することに加えて、たとえ予算化が実現したとしても、医師側に報告するインセンティブを設けることは容易ではありません。出身大学を含む各組織が協力する分散型の医師認証基盤を実現することにより、医師キャリアの効率的な追跡を低コストに実現します。

医師キャリアの効果的な追跡

低コスト化の工夫

このように医師学術認証基盤には様々なメリットが期待されています。しかし、そのような施策の実施には、従来、多大なコストがハードルとなってきました。そこで次に、医師学術認証基盤が、なぜ、どのようにして低コストであるのかを紹介します。

〔工夫1ーフェデレーション型認証の利用〕

医師学術認証基盤では、新たな政府認証局のような公的基盤を構築「しません」。代わりに、各大学やUMIN(大学病院医療情報ネットワーク)等にて医師が利用しているアカウントを、相互接続します。
これにより、各医師は、自分がメインで利用しているアカウントを維持するだけで、インターネット上の様々な医師向けサービスを利用することが可能となることが期待されます。FacebookやTwitterのアカウントにより、他のさまざまなオンラインサービスが利用できるようなイメージです。
このような認証システムは、フェデレーション型の認証と呼び、世界の学術認証において利用されています。我が国においても、国立情報学研究所が、主として大学等の高等教育機関を対象として運用しているフェデレーション型認証基盤「学認」があり、その仕組みを再利用することで、低コストに医師向けの学術認証基盤を実現します。

学認ロゴ

〔工夫2-ユーザー管理コストの軽減〕

認証基盤の維持には、インフラの維持コストだけでなく、ユーザーの登録・維持といった管理コストが掛かります。提案手法では、ユーザーの管理は個々の大学医学部やUMINという既存組織に委ねられていることから、新たに政府は大きな管理コストを予算化する必要がありません。

ユーザー管理コストの軽減

また、今まで政府は、「臨床研修マッチングプログラム」のために大きなコストを負担し全国の医学生にマッチングプログラム参加のためのアカウントを配布して来ました。しかし、このアカウントはマッチング終了と同時に利用が終わり、無駄が生じていました。医師学術認証基盤を利用することにより、医学生は、在学時に利用していたアカウントにより「臨床研修マッチングプログラム」への参加が実現します。これは、臨床研修予算を、医師学術認証基盤の実現に振り向けうることを意味しています。

〔工夫3-サービス提供コストの軽減〕

従来、医師向けサービスを提供する学会や事業者、公的機関は、ユーザーの獲得と維持のための事務コスト、システム運用コストと大きなコストを負担する必要がありました。このコストがハードルであることから、医師向けサービスを立ち上げたり拡大することは容易ではありません。結果として、医師を対象とした様々な情報システムの開発と普及が進まないという問題がありました。
医師学術認証基盤によって、サービス提供側は認証基盤への接続に要するコストを負担するだけで、多くの医師ユーザーを獲得することが可能となります。フェデレーションの運用のために要するコストは、商用サービスの接続に対して課金を行う等することにより容易に確保することが可能となると考えられます。

サービス提供コストの軽減

医師学術認証基盤の実現へ向けて

以上のように医師学術認証基盤は、サービスを利⽤する医師、サービスを提供する研究者や各種事業者、アカウントを提供する大学等組織のそれぞれに⼤きなメリットがあります。そして、このように参加各位に様々なメリットが存在することで、事業に参加する各種の主体が増し、サービス種別の拡大が情報基盤としての価値を高めます。こうして利用医師が増えることで、サービス提供者が拡大し、さらに利便が高まるサイクルが成立します。

医師学術認証基盤の実現へ向けて

こうした仕組みの整備は、インターネットが爆発的に普及した背景にある「イノベーションのためのシステム」の確立に似ています。政府は1980年代、日本社会の情報化に向けてキャプテンシステムやISDNといった公的情報技術の普及を目指し、多くの投資を行いながらも挫折を続けてきました。そうしたなか、1990年代に大きく普及したインターネットは、利用者が技術革新を主導することで絶え間ない技術革新を実現し、これがネットワークの価値を高めてさらなるユーザーを獲得するイノベーションシステムを実現し、爆発的な普及を実現しました。

我が国の医療用情報技術は、コストが高いうえに品質が低い特徴を有しています。そうしなた状況において技術革新を実現していくためには、コストを低廉化し、品質を上げる施策が不可欠です。そのためには、その公的な性質が故に目的が制限された政府認証基盤(HPKI)に加えて、ユーザー数とサービス種別の拡大を実現する医師学術認証基盤の導入が合理的です。今後、啓発活動を通じて関係者による理解を得ることで、施策化に向けた検討が進められることを願っています。